自己紹介と物書きの性別というものに関して

初めまして、Morです。

Twitterとかpixivもこの名前でやっているので、もしかしたら初めましてじゃない方も一万人に一人くらいはいるかもしれないし、いないかもしれない。

 

プロフィールにもある通り、突き詰めれば私はただのオタクです。BL苦手で百合は好きとか言ってるので性別若干不明ですが、普通に(?)女性です。

私はSNSで初めましての人には性別誇示しがちなんですが、これは男性集客目的ではなくむしろ女性のためですね。私個人として、特に小説とか映画の感想って、同じこと言ってても性別が違うだけでガラリと印象が変わると思うのです。

ポリティカルコレクトネスはともかくとして、まあやはりこの世には男同士でしかわからないことや女同士でしかわからないことというのは多々あるもので、書いている人の真意がどこにあるかとか、それをどう受け取れるかは性別で結構変わって来ます(私はね)。

小説でも『人間失格』や『ノルウェイの森』で「女なんて〜なもんだ」と言われりゃ腹も立ちますが、『グイン・サーガ』や『高慢と偏見』で「女というものは〜」と言われても別に何のこっちゃないわけです。勿論時代や個人の価値観はありますし、どーーーしても同じ女としてもオースティンは受け付けないという人がいたって別に何の不思議もないわけですが、同じことを男性が言っているよりはなんぼかマシな気がするのは私だけでしょうか??

 

まあ平たく言えば、男性の書く文章はどうしても男性の目線と論理が働くし、女性もまた然りというわけで、これがシェイクスピアとかにまでなってくれば不思議と性別を超越し始めるわけですが、そんな天才でもない限り性別というのには結構縛られてしまうように思うんです。ジェンダーの問題はあるかもしれないけど、これはむしろセックスの話で、生物としてどうあるかという根本的なレベルの話なので、心の性別とはまた別なのです。(まあ私トランスジェンダーじゃないし、トランスジェンダーの知り合いもいないから結局のところはよく分かりませんが)

 

そもそも私はおそらく、一人称形式の小説があまり好かないのでしょうね。特に男性一人称で、男性の作者の小説は本気で何を言っているのか半分もわかりません。世間一般の評価は高いですが、太宰治なんぞは正直「なんじゃこの自意識過剰な厨二男性は」と思えてしまうのが正直なところ、村上春樹は『ノルウェイの森』を読もうとして序盤の方の何とも言えない男性目線の文体にギブアップしてしまいました。とは言え村上春樹くらいは……そのうちなんとか……いつか読む……かもしれない?

 

そんなわけで私の読む本は基本的に女性作者のものに集中しています。それを選んで読んでいるというのもあるし、「これ良いな」と思ったら女性だったということが多いのもあります。桜庭一樹さんとか、名前から最初絶対男性だと思っていたんですがね。『金田一少年の事件簿シリーズ』の作者が女性だと知った時も大層驚きました。

英文学ではやっぱりオースティン(『高慢と偏見『エマ』)やオルコット(『若草物語』)、エミリー・ブロンデ(『嵐が丘』)のあたりが好きですし、勿論J.Kローリングにすっかり魅せられてもいるわけです。

日本でなら栗本薫(『グイン・サーガ』)は勿論、桜庭一樹(『GOSICK『私の男』)や上橋菜穂子(『獣の奏者』)、中学の頃はライトノベルの『少年陰陽師』(結城光流)にめちゃくちゃハマっていた記憶……

とは言え、男性作家の本は読まないなどということは決してありません。神永学さんの『心霊探偵八雲』シリーズとか好きでしたし、ディケンズは全般的に肌馴染みがいい。シェイクスピアのファンでもありますし、バルザックの『ゴリオ爺さん』とかオイオイ泣いて読みました。

 

基本的に格式とか伝統とか好きなタイプの人間なので、「何十年何百年と読み継がれているものには、それだけの価値がある」を座右の銘に、古い作品を好む傾向があります。純粋に当たりが多いですしね。

「面白い」が欲しいだけの、一時の快楽のために消費するだけなら正直なんだっていいわけですが、やはり文学の名を冠する本にはそれ以上の何かがあって、「感動する」という体験を得たいなら手っ取り早く古いものに走った方が良いわけです。ベストセラーを毛嫌いする人がたまにいますが、あれはよくわからない心理ですね。とりあえず読んでみりゃ良いじゃないかと。まあそれで、私の村上春樹みたいに撃沈することもあるわけなので100%ではないですが、食わず嫌いはよろしくない。

 

まあそういうわけで、私は男性の作品も読むことは読みますし、好きな人の作品は好きですが、全体的にはやはり女性作家贔屓の傾向があります(シェイクスピアは別として)。腹の立つことが少ないからです。

 

と言いますのは、先ほど何冊か本を例に挙げていましたが、私は結構格式ばった「王家の青い血」とか「貴族の誇り」とかそういうオールドファッションな代物を「これは創作だ、文句あるか!」とばかりにポリコレの叫ばれる世界の真ん中で堂々と楽しむのがまた大好きなのでして(性格が悪い)、ハリーポッターではグリフィンドールよりスリザリン、何ならデスイーターが好きな部類の人間なのですね。

そうするとまあ、当然のことながら格式のある歴史と伝統は常に男尊女卑構成で成り立って来た事実があるわけで、おまけに書かれた時代が古いとなると更にポリコレで検挙されること待ったなしの差別発言の山がこんもり積み上がってしまうのですが(性別だけでなく、身分や生まれ、人種なども絡んできます)、こと性別に関しては「男の作者にそれ言われると腹立つ」というようなものが結構多く(特に太宰のようなすけこまし人間は私は好かんので尚更)、必然的に読まなくなってしまうのです。

 

女性の作者ならば、例えば男性キャラクターに「これだから女はいかんのだ」とバカ真面目な顔で言わせていても、それが本気とは思いません。大抵は女性キャラクターの反論や弁明が後々セットで効いてきますし、むしろ「こういう男いるよねー」という共感と共にポジティブに受け取ることが出来ます。

最近一番「作者が女で良かった」と思ったのは『グイン・サーガ』という小説を読んでいた時で、皇女様が淫魔の悪漢に誑かされて誘拐された挙句すっかり汚されて主人公に救出される……みたいな下りがあるのですが(これだけ聞くと最悪だな)、その攫われた先には色々あって別の国の王子様もいて、やっぱり淫魔に好き放題拷問を受けていたらしいという話になっているんですね。

で、まあこの皇女様というのがまあ可哀想なことにあまりにも平凡に素朴で、皇族の誇りはあっても自制心は全くないというような娘だったせいもあり、せっかく救出に来てくれた人格者の主人公相手に「ほっといて!!死なせて!!帰らない!!」と喚きたい放題の言いたい放題したせいで、周りの家臣たちのご機嫌をだいぶ損ねまして、「王子は同じような目にあってもあれほど凛としてらっしゃるのに、姫はなんと見苦しい」的な評価を受けてしまうわけなのです。

「男だった分、なおのこと王子の方が辛かっただろうに」という感想を漏らすものもおり、王子本人もそういうのですが、正直私はここのところがどうにもさっぱりよくわからず、ただまあ男性同士ならそういう感想も出てくるものかなあとは思うのですが(作者は女性なのに凄いなあと思いますが)、むしろやっぱり皇女様の方がずっと可哀想に辛そうに思えるのです。そしてこの台詞を書いていたのが男性作者なら、それがどんな意図であれ、おそらく私は不愉快に思って本を閉じてしまっていたのではないかなと、「お前に何がわかるんだ」とばかりに同性である皇女の肩を持って(作者相手にすごい言いようですが)憤慨していたような気がしないでもないわけで、そうしたことを考えてもやはり女性作者であることが私の読書にもたらす恩恵は大きいのですね。

 

まあそういうわけで、私は女性ですし、女性として生きて女性として小説を読み映画を観る人間なので、私と同じ感性を持つ「男性」にはあまりこのブログは面白くないかもしれません。

女性大好きなので、私自身としても女性読者大歓迎というのを公言して憚りませんし、それで良いと思ってもいます。男性読者も別に拒みはしませんが、現実でもSNSでも男性と絡むとちょっと面倒くさいことが増えるので、趣味ブログに呼び込もうとはあえて思いません。

 

気のむく人は気のむくままに〜

ではまた